joseph carey merrick.

幸せになりたいだけなのに

花のように生きられたら

 

賽の河原で石を積み上げては崩すような生を送っている。償いは許されない。罪名が無ければ判決は下されない。心電図のサインは意思と無関係に続いていく。生きている事を望む人がいるということは、死ぬ事を許さない人がいるということでもあるのだ。ここは楽園でも地獄でもない。

 

近頃ずっと頭が痛い。偏頭痛が悪化したのか、低気圧のせいなのか、疲れなのか、ストレスか、肩こりか、煙草の吸いすぎか分からないけど、その全部のような気がするし、そう思った方がいい。考えなくて済むから。薬の偉大さを思い知る。錠剤二粒で腐りかけの肉が辛うじて身体の様相を保つ。この世で最も偉大な発明は薬だな。それがなくなったら、明日にでも世界は滅ぶだろうな。

 

 

キッチンの小さな灯り、耳障りな換気扇の音、フィルターの焦げる匂い、ここは楽園でも地獄でもない。

殯の膿

 

 

お酒が嫌いになりました。ただ気分の悪くなる液体だと気付いた。もともとかなり弱い方であまり飲むことはなかったけど、ここ最近付き合いで飲むたび、アルコールで気の大きくなった人間の腹のうちを聞かされるたび嫌になってしまった。弱すぎて酔うことができないから、いつも最後に残るのは頭痛と吐き気と体の痛み、そして不信感。

 

現実というやつから逃れる手段が分からなくなってしまった。生き物はどうやって自己を保っているんだろう。どうしてみんな気が狂わないんだろう。もしかしたら、みんなとっくに狂っているのかもしれない。もしそうなら、私も仲間に入れたようで少し嬉しさも感じるし、恐ろしくもある。ああ、人になってしまうよ。

 

昔からずっと「許されたい」と思っている。誰に、何を、なのか、いまいち分からない。ただ許してほしい。涙を流しながら、ごめんなさいって言うから、そうしたら右の頬を叩いて、抱きしめて、許してほしい。

 

 

滑稽なものを笑うではなく、気恥ずかしさに頬をほころばせるではなく

 

人の真似事は上手くできるようになったけど、ついに人として生きる事はどうしてもできなかったな。

 

普通の人(あえてこういう言い方をする)ができることができなくて、それを自分の能力不足やなんらかの障害と思いたくなくて、自分が人じゃないと思うようにしたら救われるような気がした。

それは特別感が欲しいとかじゃなくて、ある種の防衛本能のようなものだったのかもしれない。

人間のふりをしているうちに、本当に人間になってしまうんじゃないか、怯えていたし、期待していた。結局杞憂だったし、楽観だったな。

 

私はなんだったんだろう。処刑台が近付いている。息をするたび、言葉を吐くたび、あらゆる方法で少しずつ死んでいく。世界が眩しすぎて、それ以上に汚れすぎていて、目が潰れてしまったよ。

 

 

 

 

 

誰もいない所へ行きたい。そこでならもっと上手くやれるから。

患者が窓際のベッドなら、病気が良くなると思っているみたいに。美しい場所でなら、暗い場所でなら、寒いところなら、ここじゃないどこかなら、この世界の外でなら、もっと上手く。

 

 

決して生まれ変わらず、今この瞬間のまま

 

みなごろちゃんが死にました。

目に見えて、生きとし生けるモノ全てとコミュニケーションを取ることが苦手なえむねこは、Twitterこそが唯一、この世界と自分を繋ぎ止める糸、あるいは鎖のようなものでした。

そいつが断ち切られても、いや、切り離すことすら出来ず引き摺りながらうずくまっています。その重さはあまりにも心地よく、懐かしい匂いがするのです。

 

本当は、ずっと前から、何もかも終わってほしかった。

心の何処かで世界が終わるのを待ってた。

世界が終わってしまえばもう寂しくないと思ってた。

それなのに世界はいつまでも回り続けて、永遠を錯覚させる。

そしてなんの前触れもなく、至極当然に、ゆりかごの中がからっぽになる。

今までも、これからも、ずっと。

だから、これは多分、遺書だ。

 

どうか。

先立つ不幸をお許しください。

幸せになれなくてごめんなさい。