joseph carey merrick.

幸せになりたいだけなのに

トリアージ

 

生き物が死ぬときの肺から残りの空気が漏れ出る音みたいな呼吸をする日々。あけましておめでとうございます。私はとても元気で、明日も白痴でありたいと願いながら、最大限の希死念慮を抱きしめています。

 

2023年が終わって、いい意味で死に、わるい意味で生きたな、と思った。価値というものを数値化できるのであれば、マイナスでもプラスでもなく、何も得なかったし、何も失わなかった。クレジットカードと電気を止められて、職場に家賃支払いの催促電話が来たときはさすがに参ったな。ポストの中に溜まったいい知らせなんて一つもない書類の束、受口を爪でガリガリと引っ掻いて、ダイヤルをめちゃくちゃに回してやった事が、今年一番印象に残った出来事だった。肉体と精神は循環参照する。もっとたくさんの薬がいるな。

 

黒いタグの付けられた盲目の羊、ライ麦畑の終着点。もう逃げる場所はどこにもない。

作りものの呼吸

 

エンドロールの最中、主題歌の後に流れる誰も覚えていない音楽のような日々。現象だけが動いている。空想と現実の二律背反。鏡を見ると何か得体のしれないものが映っていた。そいつはかぷかぷ笑っていた。

 

唐突に昔暮らしていた場所を思い出してノスタルジーに浸りたいときがある。小学生のとき遊びに行って怒られた川、手入れされていない空き地の伸びきった雑草が生い茂る自動販売機までの砂利道、真夜中の散歩中、怖くて遠回りした工場裏。私はたしかにそこにいた。

先日実家に帰ったとき、8年程前に通っていた美容室に行ったときのこと。以前住んでいた家の近くを通ると、見る影もない程変わってしまっていた。私の思い出の中にある風景なんてものは最初からなくて、頭の中ででっち上げられた空想でしかないと錯覚するほど変わり果てていた。今そこにいる人達に合わせて世界は作り変わり、通り過ぎて行った者達は思い出の中に取り残される。

 

私が見てきたものも見ているものも全ては過去で、"今"に到達することは決してないのだなと思った。何万年も昔から、人はそうやって生きてきたのだろうな。

 

それでも、住宅地の少し先には、私が住んでいた頃からある小さな公園があった。そこは思い出の中のまま、子供心に退屈なほど小さな公園だった。立ち止まって、5秒くらい眺めて、通り過ぎていった。

私はたしかにそこにいた。

 

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帰り道の在処を

 

今日も少しだけ死んだ。認識できないほど少しずつ、緩やかに死んでいく。処刑台への階段を登るかのように終わりに向かっていく。もしかしたら、もう首に縄を掛けているのかもしれないな。喘鳴が止まらないのもそのせいかもしれない。

 

道を行く人達が虫の群れに見えた。楽しそうに笑う声は悲鳴に聞こえた。どうも私はこの世界に向いていないらしい。先生は無作為な単語を投げかけて、私はそれに答えた。「死」に対して「真っ白」と答えた事だけ覚えている。身体があまりにも重くて、自分のものなのか疑わしく思った。それが薬のせいなのか、ニコチンとカフェインの副作用なのか、6月の気候のせいなのか、今まで積み重ねてきた業か、最初から自分のものではなかったことを思い出したのか判別できないでいる。それでも現象は常に起こり続ける。起こり続けた。私はそれを眺め、他人事のふりをする。現象が果実だとしたら、それを作った枝が、幹が、根があるはずなのだ。でも私にはそれがなかった。

 

秒針はいつも終わりを指し、短針は必ず始まりを指す。日が沈むのも夜が明けるのも怖い。

 

 

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「もしもあなたが私をジョナサンと呼ぶのなら」

 

 

死ぬ夢をよく見る。

 

2月だったと思う。手術台に無影灯の光が降り注ぐと、私の身体には何本かのパイプが刺さっていて身動きが取れなかった。私は風船の中みたいだなあと思った。血は出ていなかったから余計にそう思ったのだけれど。やがて私の中から心臓を取り出した医者の顔は、どこかで見たことのあるような気がしたけど思い出せなかった。次に私の中に新しい機械を埋め込んだ看護師も、やっぱり顔に見覚えがあるような気がするのだがわからないままだった。最後に脳を取り出されそうになった私は、医師に向かって必死に懇願する。先生駄目ですか?残しておいてはもらえませんか?と、私が泣きながら言うのを医師が笑っていたのを覚えている。白い布に包まれた肉塊はぴくりとも動かないし口を聞いてはくれなかったけれど、何故かまだ人間の形を保っているように見えた。死んだ後であっても尚生きている時のかたちをしている事に凄く感動したりした。私はそうじゃなかったから。死ぬ直前、最後に聞いた言葉が「子供の頃、よく忘れ物をしましたか?」だったとはっきり覚えていて、そうだったと思います、と答えた。そうして私は灰になった。

 

目が覚めたら、カーテンの隙間から見える空が朝方なのか夕方なのか分からないような色をしていた。換気扇の下で煙草に火をつける。床に灰が落ちていくのを見ていた。

思い出の意味、花束の庭

 

木になっているぶどうがすっぱいに違いないと諦めることができたらどんなに良かっただろう。届きそうに見えて、中途半端に手を伸ばしてしまった。そうして疲れ果てて、もう手を伸ばす事もできなくなったにも関わらず、私は無様にも果実を見上げ続ける。ぶどうは甘いに違いない。私は口を開けて腐り落ちてくるのを待っている。

 

ふと、病院の匂いが好きだったな、と思いました。ずっと昔のこと。平日の昼間、小児科の待合室には私と母親以外に患者は誰もいなくて、消毒液の匂いと、映画かなにかで聞いたことのある音楽のオルゴールアレンジが流れるている空間は、守られている、ということを子供心ながらに感じた。熱で朦朧とした意識の中、受付の人に名前を呼ばれるまでのほんの僅かな時間、母親に寄りかかって頭を撫でてもらうのが好きだった。待合室の隅にあるおもちゃや絵本なんてどうでもよくて、ただ側にいて撫でられていたかった。

私の知る限り、あの場所以上の安心というものはもうこの世のどこにもなくて、二度とあの場所に戻る事はできないのだから、怯えながら生きていくしかないのだろう。目眩がするほどの病院の残り香に、私は未だ期待をしている。

レミングの向かう先に

 

ふわふわと漂いながらも水に濡れれば重くのしかかる綿のような日々。雨の日は調子が悪くなるけど嫌いになれない。生活圏に人が少なくなるから。

 

近頃、表現するという行為が非常に苦手だと感じている。感想や要望を求められても、少し考えるふりをして、当たり障りのないことを毒にも薬にもならないように伝える。内容について、思う事というものが殆どない、というより、まるで他人事のように分からないと言ったほうが正しい。

友人と過ごしているとき、家族といるとき、一人きりのとき、SNSでフォロワーと話しているとき、ファストフード店の店員に注文を告げるとき、野良猫がこちらを睨みつけているとき、私という存在は、その全てが全く違う生き物のように感じる。それは別に不思議なことではなく、誰もが置かれている環境によって自己のキャラクターを演じ分ける。しかし、凡そ殆どの人間はその全てを自己とし、それを本心として矛盾しない。

 

私は自己というものの得体が知れないのだ。日々を浪費する度に少しずつ齟齬が生まれて、こんなものは私ではないと目を背ける。傍観者としての意識が、汎ゆる行動を、感情を、祈りを、呪いを、違う、違う、私じゃないと泣き叫ぶ。愛されても、恨まれても、抱きしめられても、頬を打たれても、生まれたときも、死ぬ瞬間も、何もかも、違う、違う、違う。

木蓮とソドムの際

 

痛みも幸福も神経に伝達する前に忘れていってしまうような日々。眼前には何もないがある。自分が悲劇名詞だという現実。振り落とされてしまうのも当然だな、と思った。

 

ヘンリー・ダーガーという作家が好きです。15000ページを超える世界最長の小説を、死ぬまでの半世紀以上書き続け、誰にも見せることなく没した。公表する機会があったら、彼は自身の作品を公表しただろうか。誰かに評価されたいと感じていただろうか。何十年も、自らのために創作を続けていた。自らのために非現実の王国を作り続けていた。私も、そうありたいと思う。誰も触れることのない楽園、終わることのないパレード。ここは水飴で満たされた水槽の底。